まるごと口に頬張ると太陽と果実の味がした。南国・宮崎生まれの、シャインマスカット。|河野伊享

皮ごと味わうシャインマスカットの魅力

8月〜10月に旬を迎える「ぶどう」ですが、都農のぶどうは、少し早めの7月から夏にかけてがメインシーズン。道の駅には、たくさんのぶどう農家さんが腕によりをかけたぶどうたちが並びます。中でも、高い人気を集めるのが「シャインマスカット」。南国・宮崎で育ったシャインマスカットは、太陽の光を浴びて、驚くほど甘くておいしい果実に成長します。お昼すぎには、道の駅の売り場から姿を消してしまうほどの人気ぶり。

6月17日梅雨の中休み、もうすぐ出荷のピークを迎えるこの道35年のベテランぶどう農家、河野さんにお会いし、都農町のぶどうの魅力についてお聞きしてきました。

 最初に案内していただいたハウスには、今全盛期を迎えるハニービーナスと、一番人気のシャインマスカットがたわわに実っていました。

この2種類のほかに、デラウェア、サニールージュ、ピオーネ、クインニーナ、BKシードレスの全7種類を作っているそう。

 ーーシャインマスカットと他のぶどうとの違いは何ですか?

「見た目はね、光沢ががある。やっぱりね、皮ごと食べられるのが一番人気の理由やろうね。もうちょいやね。もうちょっとしたら、皮が口の中に残らんようになる。」

 そういって1房摘んで食べさせてくださいました。噛んだ瞬間パチッと弾けてジュワっと甘い濃厚な果汁が口に広がります。酸味は全くなく、糖度の高さに私たちは思わず「おいし~い!」と驚いてしまいました。

まだ収穫期に到達していないのに、これだけ甘いなんて!これからさらに甘さが増してくるのだそう。

都農のぶどうの歴史から始まる、シャインマスカット

雨が多く、台風の影響を受けやすい都農町は果樹栽培そのものが不可能と言われていました。事実、都農の年間降雨量は4,000ミリ以上。世界のぶどう産地の5~8倍は降ると言われています。しかも収穫期には台風が襲来、強風で葉も果実も多大な被害を蒙ることになります。

そんな「日本一の不適地」とされた都農町で、終戦直後、初めてぶどう栽培を始めた先駆者、永友百二氏という男性がいました。彼は、稲作に頼らない豊かな農業経営を目指し、新品種の開発など苦労に苦労を重ね、今では都農町の農業を支えている基幹の作物であるぶどうを広めた人物です。そんな不可能を可能に変えた永友百二氏に、先代である河野さんのお父様は直接指導をしてもらい栽培をスタート。初めは種のあるキャンベル・アーリーやベリーAというぶどうを栽培されていたそう。

しかし、河野さんの世代になるとお客さまのニーズに答える為、種なしのぶどうを栽培するようになります。その中の一つがシャインマスカットで、農園の中では一番人気なのだそう。

ーー都農のぶどうはどうしてこんなにおいしいのですか?

「太陽の光は重要やね。日当たりはいいよね、都農は。正直、どちらかと言うと、都農は育てにくい土地柄やないかなとおもうっちゃけど。雨は多いし、台風は来るし。去年は塩害もあった。塩害で葉っぱもおちて。あと梅雨の湿気でカビが生えるから何度も消毒したりせんといかん。はよ梅雨が明けんかねーっておもちょ。手間は掛かっちょいよね。手をかけるからおいしいんじゃないやろか?」

毎年違う天候や、時折天災に見舞われながら、手をかけ愛情を注ぎ、何より都農のお日様のちからでおいしくなっていく都農のシャインマスカットは、今年も順調に育っているそうです。

旬までもう少し!楽しみです。

河野さんの大事にする事

 ーーぶどうを栽培するにあたり、こだわりってありますか?

「うちは科学肥料は一切使ってない。身体に良くないからね。山から赤土持ってきて、黒土と混ぜて作ってる。」

ーーぶどう栽培をやっていて、やりがいはを感じる瞬間はどんな時ですか?

「ぶどうが金になった時(笑)」

そんな冗談を言いながら笑う河野さんですが、ぶどう栽培に対する情熱は誰にも負けません。ぶどう栽培歴35年。河野さんのこだわりを持って生産された極上のぶどうは、全国のお客様が出荷のタイミングを今か今かと待ちわびています。

未来のために新しい試み

今度は、違うハウスも見せてもらうと、「これ見て」と河野さんの指の先にあるものは…ん?バナナ??と見違うほど細長い形をした実のぶどうが。初めて見る品種のバナナに私たちは目をまん丸にして驚きました。

「小指の思い」という品種のぶどうだそうで、河野さんが3年前に植えた苗木にようやく40房ほど実をつけたそう。

ーー面白い形のぶどうですね。

「ちょっと試しに植えてみた。甘ーいっていうよりさっぱりした味かな。ぶどうは植えてから3年経ってようやくちょっと売り物になるような実がついてくるんですよ。一番良いものが採れる樹は5年から12・3年くらいやね。」

商品になるまで時間がかかりますが、先を見据えて現状に留まらず、おいしく食べてくださるお客様に向けて新しい挑戦を始めている河野さんです。

そんな河野さんですが、後継者問題には頭を抱えておられます。

「後継者がいればもっとやりがいもあるんやけどね。募集中よ。」

興味がある方は、体験移住も可能なのだとか。次の世代へ繋ぎ、都農におけるぶどう栽培を発展させていってもらいたいと力強く語ります。

河野さんにとって“ぶどう”とは

河野さんは、自宅前の直売所での販売も行っています。大体の直売所では購入されたぶどうはビニール袋に入れてお渡しします。しかし、河野さんはきれいに袋やネットキャップ、箱に入れて贈答品のようにしてお渡しするそうです。

「よく他の生産者になんでそこまで(梱包)すると?って言われるっちゃけど、娘が嫁に行くようなもんやわ。普段着で嫁にやると?ちゃんと見栄え良くしてだすやろ?って言うとよ。」

一房一房、愛娘のように大切に育て、たっぷり愛情の詰まったぶどうが、はにかむ河野さんの笑顔の後ろで艶やかな宝石のように輝いていました。

プロフィール

ぶどう農家 河野伊享さん

宮崎県都農町(つのちょう)のぶどう農家さん。お父様の代からの2代目。収穫の忙しい時期が終わったら、毎年パートさん達を連れて慰安旅行に連れて行くという優しい方。

インタビュー 吹田 あやか

株式会社イツノマのライター。好きな食べ物はミョウガ。趣味は、サウナとチャイ作りと、ドライブ。

ライティング 古吉 裕子

都農在住のママさんライター。3歳児と1歳児の母親。子供の成長を見ることと、こっそり食べる甘味に最高の幸せを感じる。

この記事が気に入ったら
いいねしてね!

よかったらシェアしてね!